私が踊り続けるわけ3 前後編 放送後記②

私が踊り続けるわけ3 前後編 放送後記②

 

そして、取材して5日後の8月18日、愛美さんは8時間に及ぶ大手術を受けた。

 

その日、僕は大阪の晃生ショー劇場で浜崎るりさんの取材をしていた。

るりさんは、番組に出ている通り裏表の無いとても素敵な女性だ。僕もあの明るさにしばしば圧倒されつつも、パッと気持ちが晴れて、嫌な事も忘れ、元気をもらっている。

あれだけのファンを集められるのは、愛美さん同様、るりさんも人柄によるところが大きいと感じていた。星愛美さんと浜崎るりさん、タイプは違うがストリッパーでありながら「裸」を売り物していない点で、とても似ていると思う。

そう言うところをお互いが認め合い、尊敬しあっているようでもある。

 

愛美さんの手術当日、そのるりさんはいつものように、明るくステージに立っていた。

 

「姐さんは、何があっても大丈夫、絶対帰ってくると私は信じている。だから私は心配しない。これまで、どれほどの苦難に会おうとも、姐さんはそれを乗り越えたきたんやから」

 

実際、るりさんも愛美さんと連絡をとれていなかったので、愛美さんの病状やどんな手術をするのか、詳しくは知らなかったのだと思う。ただ、肺がんとだけ聞いていたかもしれない。

 

僕は晃生ショー劇場で、るりさんの取材をしながら、劇場に手術の結果が入るのを待っていた。

しかし、当初4時間程度と聞いていた時間が過ぎても連絡が来なかった。

そして、8時間を過ぎた頃、愛美さんのお母さんから劇場に連絡が入った。

 

右下葉肺の切除、わずかに転移していた胃の一部も切除、大手術だったという。

予想外の手術になったことで、お母さんも動転していたようだった。

そして、その知らせを聞いたるりさんも、言葉を失っていた。

僕は、それ以上るりさんに話を聞くのを止めた。

 

手術の後、愛美さんは僕の想像を超える厳しくて辛い闘病生活をしていたのだと思う。

右肺の一部を切除しているので、思うように呼吸ができない。

呼吸できないという現実は、このまま自分は死んでしまうのではないかという恐怖に結びつく。術後の身体の痛みや死の恐怖、そして今後自分はどうなるのかという不安。

 

僕は詳しい状況が分からないまま取材が進まず、もしかしたら番組は作れないかもしれないとさえ思っていた。

しかし、そんなことより、愛美さんが順調に回復してくれることを祈るばかりだった。


そして僕が愛美さんに会えたのは3週間以上先で、9月も半ばになろうとしていた。

以来、愛美さんの体調を見ながら取材を続けさせていただく。

決して無理はさせてはいけないと自分に言い聞かせていた。

愛美さんは、肺に水が溜まり、咳が酷かった。咳き込みながら、それでも愛美さんは何かを語ろうとしてくれた。

 

「愛美ちゃん、そんなに無理してしゃべらなくてもいいよ」

「うん、でも大丈夫だから…」

 

あまりしゃべらせたくない、しかし、せっかく何かを伝えたいと考えている愛美さんなのだから、短い会話の中で重要な話となるモノを、僕は必死に探っていた。

 

愛美さんの取材は、いつも彼女の身体が傷つきボロボロで、年齢との戦い、体力との闘いの中で進んでいくことが多い。だから常に緊張感があった。今回のパート3は、たとえ笑えるような会話があったとしても、その緊張感が、これまで以上に強かったと思う。

批判をいただく事が多いが、それでも僕はいつものスタンスを貫いた。

 

「大里さん、私、余命宣告を受けるかもしれない」


術後の経過を診るために病院に向かう車の中で、愛美さんはつぶやいた。

もちろん、カメラは回っていた。しかし、愛美さんはカメラに言ったのではない。僕につぶやいたのだ。それは、「情報」を僕に伝えるのではなく、今の自分は「たまらなく不安だ」という「気持ち」を伝えていたのだ。

そういう人に、心を開いて不安を伝えてくる人に、僕は敬語や丁寧語を使って話すことなどできない。仲の良い友達や家族と話しするように、ありのままの自分で答える。

正しかったかどうかわからないが、たぶんこの時自分はこう答えていたと思う。

「だめだよ、愛美ちゃん、弱気になったら。絶対大丈夫だよ!」

しかし、今だに考える。自分は何と答えたらよかったのか?

ただ思うのは、コミュニケーションで大事なのは、話の内容ではなく、心の触れ合いなのではないかと…。

 

ドキュメンタリーは取材する側と取材される側の心の触れ合いによって、人が生きる上で大事なものが浮かびあってくる。僕はそれでいいと考えている。それを見つけるためにこの商売をやっているのだ。


ずっと思っていたことだが、愛美さんは、僕に全てをさらけ出したいのだと思っていた。知って欲しいのだと思っていた。だから、このドキュメンタリーは愛美さんと一緒に作ってきたという意識が強い。僕と愛美さんの真剣勝負のようなものかもしれない。

実は、こういう展開は自分の作品はいつもそうだったと思う。

 

「こんな自分でも誰かの役に立ちたい」

劇上に足を運んで愛美さんのステージを見る人に、そしてこのドキュメンタリーを見る人に、愛美さんは常に何かを伝えようとしてくる。
本人はいつも意識しているかどうかはわからないが、底に秘めたこの「激情」が彼女の生きる力となっている。

 

僕はそんな愛美さんと、このドキュメンタリーを見る人との間にいるハブ(hub)なのだった。

正直、彼女の激情を僕は伝えきれていたのか…。自問が絶えない。

 

そして手術からわずか3か月。愛美さんは不死鳥のようにステージに復活した。

放送後にいただいた愛美さんのLINE。
「私自身の病と舞台への思いがお伝えできればと思いました」

 

今回の取材で忘れられない瞬間がある。
愛美さんが、復帰する日、手術から3か月振りのステージに立つ直前。
僕は、舞台袖で出番前の愛美さんの表情をカメラで追っていた。

愛美さんの復帰を待っていたお客さんの歓声と拍手が聞こえる。愛美さんの表情。踊れるかという不安と緊張、そして舞台に立てるという喜び。

僕は心配の方が勝っていた。通常の半分7分のステージとはいえ、愛美さんは本当に無事に踊り切ることができるのか…。本当にドキドキしていた。

番組を見た方はお分かりだろうが、愛美さんはこのステージの前、わずか1日しか稽古をしていない。しかも、稽古中激痛が手術箇所周辺に走っていた。

 

しかし出番直前の「愛美ちゃん」、その表情に僕は希望が見えた。

溜まらず、僕は「愛美ちゃん」に声を掛けてしまった。

そして、愛美ちゃんはそれに…。

仕事を忘れていた自分。ディレクターとして不覚。

こんなことは30年以上もこの仕事をしていて初めてだった。

 

そして、舞台に向かっていった愛美ちゃん。

美しかった。

感動した。
本当に、星愛美という芸名のストリッパー、いや一人の女性…、彼女と出会えてよかったと、心から思う。