私が踊り続けるわけ3前後編 放送後記①

このシリーズも3本目を迎え、1本目の放送から今回までずっと考え続けたことがある。

「人は何のために生きているのか」

星愛美というストリッパーと出会って、彼女は少なくても自分の為には生きていないのだろうなと感じていた。

 

「肺に影があるから検査に行きます」

そんな連絡をもらって、自分は病院のあるビルの下まで同行取材した。

現在、病院関係は個人情報などの問題で一切取材できない状況だった。
そのあと、愛美さんのご自宅に伺って話を聞いた。

僕の場合は「インタビュー」ではなく、「話を聞く」というスタイルで考えている。同じことだろうと思う人もいるだろうが、大いに違う。

…この話は長くなるので、また別の機会に。

もしかしたら「がん」かもしれない。

その検査に行った愛美さんから、今の心境を聞いた。

結果は確か3週間後ぐらいにわかるという話で、その話はあっさり終わった。
何故、あっさり終わったのか。自分でもわからない。
ただ、妙に印象に残っていることが、愛美さんの顔が菩薩さまの様に輝いて見えたことだった。その時、その笑顔が輝いて見えた。愛美さんは、スーさんの事やファンの皆さん事、10月に予定しいている周年イベントの事などを生き生きと語っていたように記憶している。

考えてみると、愛美さんは自分の先の事ではなく、自分を必要としている人の事を常に考えているということだ。そしてその時、大切なお母さんへの気持ちも語っていた。

正直、あんまりその笑顔が綺麗で輝いて見えたので、愛美さんがその日「がん」の検査を受けたことなど忘れてしまうくらいだった。

これは、絶対大丈夫だ。こんなに輝いて見える人が、がんになるわけはない。

 

検査の結果が出た日。

自分からは愛美さんに連絡は取らなかった。

きっと愛美さんから連絡が来ると思っていたからだ。

そして連絡が来なかった。自分は勝手に「問題なかった」と解釈していた。

しかし、愛美さんが僕に連絡する心の余裕がなかったのだ。

 

そして、番組の中でも使っているが、SNSで突然の休養宣言。

緊急手術。

愛美さんと連絡が取れなくなった。

彼女の身体の事を心配していれば、検査の結果が出た日。

少なくとも、自分から問い合わせても良かった。深く反省した。
たとえ、彼女が電話に出なくても、SNSで返事が無くても、少なくともアプローチするべきだった。彼女は一人で孤独と、そして死の恐怖と闘い始めていたのに。
甘かった。

言い訳になるかもしれないが、仕事であることをもっと強く意識していたら、自分は連絡していたかもしれない。ディレクターと出演者という関係でありながら、そういう単純な域はとうに超えていたと思う。

 

そして、ある人を通して入院前に愛美さんの取材がしたいと本人に伝えたところ、

「あまり、しゃべることもないかもしれないけど」

という返事でありながら、愛美さんに会う事ができた。

 

愛美さんはいつものように笑顔で僕に会ってくれた。
どんな手術をするのか、丁寧に説明してくれた。ファンのみなさんから送られたお守りや、入院のための荷造りしたカバンも開けて見せてくれた。

手術を前にしての気持ちを聞くと、

「今は何も考えない『無』でいることにしています」

残酷な質問をした。考えれば猛烈な不安ばかりだろう。それはわかっているが、自分は立場的に聞かなければならない。僕の辛い立場も愛美さんはよく理解してくれていた。

不安を愛美さんがどう乗り越えようとしているのか、テレビの前の人たち、皆んなが知りたがっている。
お互い心を疲弊させてまで、こんなやり取りをして、それを撮影する理由があるのかと思うときがある。だから、自分はできる限り友達として接する。かしこまった聞き方はしない。深刻になるだけだ。
そして、愛美さんはよく理解してくれている。カメラの向こうには、愛美さんを応援しているたくさんのファンがいることを。愛美さんが懸命に困難や病と闘う姿を見ることで、勇気づけられる人がたくさんいることを。

そんな、愛美さんの気持ちにどう応えればいいのか?強いプレッシャーを感じる。

そして愛美さんは肺がんの手術を受けた。

手術の成功を祈るとともに、今後この番組の取材はどうなっていくのか全くわからなくなっていた。

これから別の取材で出張に出なければならず、この続きは改めて書きたいと思っている。