今回の企画のために愛美さんを知人を通して紹介されたのは池袋の居酒屋だった。
その時「星組」のメンバーも数人同席していて、それがスーさんとの出会いの場でもあった。
スーさんは、性格的に人前に出るような目立つことが嫌いなタイプで、ましてやテレビのドキュメンタリー番組の密着取材を受けるなんて、本当に勘弁してほしいと思っていたと思う。
取材に関して電話で打合せをする感じから、おそらく取材を受けることを、ずいぶん悩んだのではないかと思っていた。もちろん、ご病気の事を知っていたうえに、そのことが今回の物語の重要な要素になると思っていたので、自分も本当に心苦しい思いだった。
できれば、そっとしておいてあげた方がいいのではないか、という葛藤があった。
しかし、スーさんは「愛美さんの為になるなら」という思いで、一肌脱いでくれることになった。
2019年12月、長崎で初めてスーさんの取材をさせていただいた。
その時、スーさんは愛美さんに対する気持ち、ご自分の末期がんという病の事など、全て話してくれた。
抗がん剤治療で、カテーテルを心臓近くから入れている映像も撮影させてくれた。
取材が終わった時、スーさんは「全部聞いてもらってスッキリしました」と言ってくれた。
その時、自分がどんなにホッとした気持ちになれたか…。
そして別れ際、わざわざ長崎名物の肉まんをお土産に買ってくれた。
そんな心優しいスーさんのためにも、この作品は絶対失敗できないと覚悟を新たにして作ったのが、前作「私が踊り続けるわけ」だった。
前作を撮影している時も、そして今回も、スーさんはどんなに身体が辛くても、カメラに応えてくれた。
話を聞くのを躊躇うような局面が何度もあったが、心を鬼にして最低限のことだけでも聞くようにした。
愛美さんの為にいい番組を作って欲しいと願うスーさんの気持ちを考えれば、それに応えるのが誠意だと思った。
そして、番組でも使っている愛美さんがスーさんを見送るシーンを撮影した時が、愛美さん同様、自分もスーさんの姿を見た最後となった。
あの時、自分は晃生ショー劇場の夜の外景を撮影していたと思う。そして、偶然にも愛美さんがスーさんを見送る現場に遭遇することができた。それが、今回自分が撮影した中で一番印象に残るシーンとなった。
果たして、自分はスーさんの期待に沿える番組を作ることができたのか・・・。
スーさんに見てもらう事ができなかったことが、心残りでしかない。
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