前後編の放送が無事に済み、ひとまずホッとしています。
番組は前後編とも好評で視聴率も同時間帯枠トップの数字を出すことができました。こうした結果を出すことができたのも、星愛美さんをはじめ番組に出演していただいた皆さんと、取材をさせていただいた晃生ショー劇場を始めとする各地の劇場関係者の皆さん、そして番組制作に関わっていただいたスタッフの皆さんのおかげです。
この場を借りて深くお礼申し上げます。
そういう意味で、今回の番組はパート1の制作時から本当に人に恵まれたと思っています。
本来であれば、撮影の舞台がストリップ劇場という特殊な世界なので、テレビカメラが客席や楽屋など、そう簡単には入れない場所です。
正直、撮影に入る前はどんな取材ができるのか、少し不安でもありました。
しかし、いざ取材が始まると、どこへ行っても皆さん暖かく私を受け入れてくれました。
特にひこにゃん、すーさん、けんけん、せいちゃん、ダディーさんを始めとする星組の皆さんには、本当に仲良くしていただきました。一緒にお酒を飲んだことも何度もありました。
そして、番組ではこの名称は使いませんでしたが、ユキさんをはじめとする星組女子部の皆さん。色々取材させていただきましたが、時間内に収まらずカットした部分があった事、本当に心苦しく思っています。
それから、浜崎るりさんを始め劇場の楽屋や舞台袖で顔を合わせたストリッパーのお姉さんたち。男子禁制に近い場所でありながら、オジサンである自分がウロウロすることを寛大に許してくれ、色々話を聞かせていただきました。番組で使いたかったシーンもいくつもありましたが、泣く泣くカットするしかありませんでした。本当にごめんなさい。
*****
後編の隠れたエピソードといえば、やはりひこにゃんだと思います。
ひこにゃんはパート2の撮影が始まった2021年10月の愛美ちゃんの32周年イベントであったきり、1年間会うことができませんでした。番組でもお伝えしたように彼は難病指定の潰瘍性大腸炎という病気になり、入退院を繰り返し劇場に通うことができなくなってしまったからです。元気な頃、ひこにゃんともよく飲みました。渋谷ですーさんと3人で楽しく飲んだことが忘れられません。
後編のクライマックスで来るはずのないひこにゃんが、バスから降りてくるシーンがあったと思いますが、実はあれはひこにゃんから当日突然連絡があったのです。
「どうしても、すーさんとのけじめをつけたくて、今布施駅行きのバスに乗りました。(中略)大里さんへはお伝えしましたが、皆さんには伏せておいてください。もうヘソから下が痺れています(笑)」
布施駅というのは晃生ショー劇場がある最寄りの駅です。ひこにゃんは彦根から新幹線に乗って京都で下車、京都から布施への直行バスに乗ったのです。
この連絡があったから、ひこにゃんがバスを降りてくるシーンを撮影することができたのです。
ドキュメンタリーは日常に起こっている事を淡々と記録してくだけでは成立しないと思っています。それは記録映画です。取材する人と取材される人の信頼関係があって、そこからお互いに刺激し合い「何か」が見えてくると思ってます。
普段、日常生活では考えもしないことを私が聞く事で、聞かれた人は初めてその事を考えてみるということがよくあります。淡々と過ぎていく時間の中で、ふと自分の事を振り変える瞬間、取材されてそういうことが大事な事だと気付いてくれた人とは、信頼関係が自然と生まれてきます。
人には誰でも、本当は誰かに聞いてもらいたいことがあるのです。
・・・脱線しました。
ひこにゃんです。
ひこにゃんが、私に愛美ちゃん周年イベントに来ることを私に伝えてくれたのは、とにかく愛美ちゃんのために良い番組ができるように協力したいという気持ちと、私への友情だと思っています。
取材をしていて、おそらく愛美ちゃんは引退するだろうと私は思っていました。
しかし、ひこにゃんが1年ぶりに会いに来てくれたこと、会場が盛大にひこにゃんを歓迎したこと、誰もが愛美ちゃんを応援していること、そんなこんなで、イベント直後のインタビューで愛美ちゃんは、
「引退できません!」と笑顔でキッパリ言い切りました。
なんという晴れやかな笑顔!
自分の考えていたストーリとは180度違う方向に行きましたが、最高の結末だった思います。
その愛美ちゃんの笑顔に遭遇できた現場にいた自分は幸せでした。
還暦を過ぎ、自分もそろそろ現場の仕事は引退かなと思いながら、衰えていく身体に鞭打ってカメラを回していた自分ですが、もう少し頑張ろうかと思った瞬間でした。
ちなみに、ネットで私が愛美ちゃんより絶対年下のディレクターだろうという投稿を見ましたが、私は愛美ちゃんより5歳年上です。取材を始めて親しくなると、ずっと愛美ちゃんと普通に呼ばせていただいていました。それを不快に思われた視聴者の方もいらしたようですが、この場をお借りしてお詫びします。以後、気をつけようとは思いますが、これが30年ドキュメンタリーのディレクターを続けてきた自分のスタイルかも知れません。すいません。
それはさておき
番組に関わった全ての皆さま 本当にありがとうございました。
心から感謝しております。
2023年2月13日 大阪に向かう新幹線にて